1年に1度、ちゃんと体の具合を診てもらえる。
20代最後の検査とはいえ、やはり若いもんに数えられるのか、 血液検査や心電図検査などは希望しない限りメニューにない。 来年は人間ドックかもしれない。バリウム飲んだりするのだろう。 一昨年は、体重が減りすぎていたのと、残業時間が規定を超えたため、 しばらくしてから別枠で医師の検診を受けることになった。 そんときは「まあ、若いからね」の一言で済まされたので、 想像はしていたものの、いい加減なもんだなあ、と思ったものだ。 幸いなことに、体調不良に悩まされることもなく今に至る。 健康でいられることは、何よりありがたいことだ。 精神的に、ストレスやプレッシャーに悩まされてるように見えるようである。 そんなことないですよ、と答えると無理してるように思われてしまったり、 格好つけているような印象にもなったりしちゃったりなんかすることもある。 ねぎらいの言葉をかけて下さる方には、感謝の言葉で返したり、 オーバーに冗談を言って、笑い話にして楽しむことができる。 去年まではこんな感じじゃなく、もう少し表情に不安感が表れていたようだ。 その名残があって、今も心配してくれる人がいるのかもしれない。 今年は、とても安心してクラブに接することができる。 油断はしていないし、悩みや不安がない、ということとは違う。 安心して誰かに任せられる環境があるから、より高い次元の悩みや考えに、 余裕をもって対峙することができる、という具合なのだと考えている。 信頼できる人物が揃うことで、こんなに視界が変わるのか、と感じた。 ジンザイは、「人材」「人在」「人財」と書き、意味をもって表すことができる。 まちがっても「人罪」にはなるなよ、というのがその話のオチのようだが、 そういう意味では、今のクラブには「人財」が多いなあ、と思う。 信頼して任せることと、無責任に押し付けるのは異なるから、 ただ厳しくしたり、脅したり、高圧的になるなら、それは「敵」しか生まない。 いろいろ思案しているつもりだが、やはりリーダーシップを取る人は、 一緒にギターを弾いている部員全体の「味方」にならなくちゃいけない。 自分自身がそうであることも大切だし、 クラブを引っ張る役員がそうなるように考えるのが役目だと思うし、 クラブに所属している部員がそう感じられる環境を作るのが大切だと思う。 例え「人財」を築くクラブが作れても、「人財」を都合よく消費・浪費するような、 そんなやり方では組織は存続・成長することなどできようはずもない。 今、とても「人財」に恵まれているなあ、と思う。 けど、財産のような人物の上に甘えてあぐらをかくと、 途端に「人罪」を生んでしまうから危ない。自分さえ人罪になりえる。 抽象的にはそんなことを思いながら、具体的にどうしたいか考えている。 組織の健康診断も大切だ。 若いからといって、いい加減な診断を下すようでは信頼できるはずがない。 「必要なのは、ちゃんと休みを取ることですね。 ただ、今は多少無理をしなくてはいけないようですから、 休みが取れるまでは一日一日のペース配分に余裕を持って、 リズムを崩さないようにして下さい。 突然リズムを崩すと、後で大きな不安を生むことがありますから、 休む日をいつにするか決めて、それまではペースを守りましょう。 焦りや不安はあるでしょうが、バランスの良い生活が何よりの理想ですよ。 また、何かあったら相談して下さい。それではお大事に。」 #
by sebna
| 2008-08-01 01:19
| 日常
とても小さなPCを買った。
そういうのを、UMPC(Ultra-Mobile-PC)というらしい。 キーボードも小さすぎるので入力には慣れが必要だが、 バッテリーを付けても1.1kg程度の重量しかない。 円盤をモーターで回転させるハードディスクを搭載していないから、 機械的な故障の危険性が少ないうえ、電力の消費も少ない。 練習がてら、このPCでこの投稿をしているところだ。 コツが掴めるまではもう少しかかりそうではある。 最近は以前のPCと同じことが、PCではないもので出来るようになった。 逆に、PCで出来なかったことが、出来るようにもなってきてもいるので、 今後ますます、その垣根は曖昧なものになっていくのだろう。 そしてまた、少し前のソロバンやワープロやPCのように、 「それでなければ出来ないこと」が世に現れるに違いない。 #
by sebna
| 2008-07-17 21:56
| mac&PC
大雨が降っている。
夏ならば、夕立とか、通り雨とか言われるような、 屋根をうつ土砂降りの雨の音がしている。 被害が出ている地域もあるので不謹慎なことは言えないが、 これだけ思い切りよく降ってくると、それはそれで思うものもある。 大学1回生の夏休み、福島県に実家のある友人の家を訪問した。 天気の良い暑い日が続いており、 昼間は車を借りて、那須や日光などへ出かけた。 昼過ぎに家に帰ってきたある日、突然に雲行きが怪しくなり、 土砂降りの夕立に見舞われたことがあった。 「雨が止んだら寒いくらい涼しくなるよ」 と、友人はさらっと言い切り、実際そのとおりになった。 半袖では出歩くのをためらうほどの気温。 それが落ち着くのを待って、夕食をとりに出かけたのだった。 夕方の大雨は、そういった10年前の事を思い出させる。 寡黙だが親切にもてなしてくれた友人の父親は病に倒れ、 現在は闘病中だというから、気がかりである。 その友人はもうすぐ所帯を持ち、来年には父親になるようだ。 10年という月日は長いように思うが、 彼らとの10年は、過去が思い出になるほど疎遠ではない。 しかし今日のような薄暗い大雨は、記憶を蘇らせる。 近いうちに、友人と電話をしてみよう。 #
by sebna
| 2008-06-22 18:59
| 日常
降雪・積雪による様々な影響を受けることなく、
無事に大会に参加できたのはとても幸運だった。 帰宅してから知ったことだが、地元の道はやはり大渋滞で、 数珠繋ぎの国道や、坂道での衝突が多発、とてもとても、 大会なんかに出かけられる状態ではなかったようだ。 私達が湾岸道路を通り抜けたのは昼過ぎごろだったと思うが、 すでに橋上の積雪もかなり深まっていて、視界もかなり限られていた。 その後14時には、湾岸道路も通行止めになっていたらしい。 前泊するという判断も良かったが、幸運が味方にいてくれたようだった。 浜松での前泊というのは、なかなか許可が下りるものではない。 高速が整備されたおかげで、3時間で着いてしまう距離なのだ。 他校は金銭面で前泊を許可されず、会場への到着が遅れた。 演奏順に配慮があっても、疲労もあるだろうし、 ベストなコンディションで演奏できたのかどうか、同情してしまう。 そういったなかで、自分たちが特別賞を獲れたことは、 実力を育み、評価の高い演奏をしたこともあるだろうが、 前泊を許可してもらえるだけの実績や日頃の習慣があったからだろう。 特別賞で校名が呼ばれた時にはうれしかったけれど、 優秀な演奏をしている団体は他にいくつかあった。 私たちの演奏は、順が早まったこともあり、聴いていた人も少なかったようだ。 5つの発表が終了したとき、会場がどよめいていたのは、 優秀な団体が特別賞にもれたことに対する、意外な気持ちの表れだった。 まるで野球とソフトボールのように、 似ていて非なる演奏形態が同時に評価されることに疑問を感じる。 高校時代、そういったことをぼやいたある部員に、 当時の顧問が「それは言い訳だ。もっと良い演奏をすれば良い」と言った。 なんとも、ああいった状況では、ギター合奏は見劣りしてしまいがちだ。 確かに、ギターの表現力は、マンドリンのそれとかなり特性が違う。 ギター合奏の団体も少なく、レパートリーが限られている。 でも僕は、当時の顧問の言葉に自分の考えを重ねたい。 今は、まだまだギターという楽器を生かしきれていない。 それが悔しくて、歯がゆいので、内心で静かに奮い立つのである。 まあ、マンドリンよりギターの方がカッコイイd(-_-)と、個人的には信じている。 でもマンドリンの演奏は、うねるような音の波や、音色の変化に、 自然と身体が動き出せるような、音が動きに現れるような、 自分たちの音楽と本当に「一体」になっているような印象を残す。 会場になった市立高校の指揮者の先生の動きや、 生徒の動きというのは、なんともすばらしく、楽しんでいるように思えた。 笑顔の演奏や、柔和な音色や、流麗な指揮はとても魅力的だ。 これからも、甘んじないで指揮を研究しておかないといけないなと思った。 それに、人数や技術に余裕がなかった状況で再スタートを切っているから、 純粋に音を奏でる楽しみを我慢させているような、そんな気もしている。 どうやったら演奏することを楽しめるのかなあ?とか、考えるのも良いかな。 大会ばかりやっていたら、きっと息が詰まってしまう。 次の大会は4ヶ月先だから、緊張感を持ちながらも、ゆったりできたら良いなと思う。 #
by sebna
| 2008-02-11 02:06
| 音楽
先々週、京都に行ったときにみたお寺の掲示板に、
「当たり前と、思う心に感謝なし」という標語?の張り紙があった。 誕生日にお祝いをしてもらうというのは、慣れていないので照れてしまう。 いろいろと考えてもらって、時間もお金も使ってもらって、つくづく幸せ者だ。 心がこもっている感じがして、今の自分に関わっていること全てに、 感謝、感謝とつぶやいてしまう。本当にありがとうございます。 素敵なネクタイピンと、ストライプのネクタイです。 きっと、よく使うと思います。またそれかい!と思われるほど。 より良い形を考えるがゆえに、失敗や疑問を与えることもあるだろう。 仕事もクラブも、まだまだ成長する要素を持っているはずなので、 20代最後の1年、「当たり前」なんて思わずに頑張っていく所存である。 ああ、そういえば今年はうるう年で1日多いじゃないか。 色々考えるけど、1年という尺度でものを見ようとするとき、 誕生日というのはとてもいい節目になる。 今年も誕生日を迎えられて良かったなと、まずは森羅万象に感謝して、 自分と一緒に物事を進めてくれる周囲の人々に感謝して、 そんな自分を生み育ててくれた存在にも感謝して、 いやはや、自分というのはなんて幸せな人間なのだろうと、実感する。 こんな生活があって当たり前なんて、思ってたらバチがあたるぞ。 #
by sebna
| 2007-12-01 17:55
| 雑想
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